8月6日 8月9日 そして8月15日

1945年8月6日 74年前の今日です。
きっと 広島も今日のような明るく暑い日だったと思います。ある学校の校庭で校長先生が「今日本はアメリカのB29に爆撃されているが、南方や大陸では日本軍が勝ち進んでいる安心しなさい・・・」朝礼での話し中に突然上空がピカッ、まるでマグネシウムをたいたような強い光が・・そして、南の空にキノコのような巨大な煙の柱が・・・空からジュラルミンの粉のように、無数の紙しぶきが舞い降りてきた。それは焼け焦げた新聞紙や書類・・新型爆弾だったのです。・・・この著書のかたの父は広島駅に学徒動員学生を迎えに行ったものの帰らず、4日後・・この世の人とは思えない姿で! 髪の毛はすっかり抜け落ち、顔はやけどでひきつって、真っ黒に汚れた体には、わずかな下着だけが・・・父は爆心地に近い国鉄の横川駅、トイレに入った一瞬だったとか、異様な光と同時に強いショックを全身に受けて、コンクリートの壁に打ちつけられたそうです。転がるようにして駅の外へ飛び出すと広島の街はすでに火の海・・・火の中で学生を探したが・・日本は無条件降服したのです。腹立たしい時代。
二度と戦争は起こさない、原爆に奪われた人々の怒り悲しみは、伝え続けなければならないと思います。
ピカドン・・・

「にんげんをかえせ」
ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ
わたしにつながるにんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわをかえせ
・・・・峠三吉さん  原爆詩人・・・・
原爆症で今なお苦しむ方たちがたくさんいます。

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